デジカメを持って 西へ東へと・・・


本日の朝7時頃から、ポツリポツリと降り始めた雨が
8時過ぎからは本降りと成り、お昼の天気予報に依れば
お昼前1時間当たりの雨量は、雨音が部屋の中からでも聞こえて来る
6㎜位の強い雨が降り、この雨は明日の明け方迄
降り続くとの予報が出され、雨に依る被害が心配されています

梅雨の季節と云えば紫陽花で、雨と紫陽花は良く似合いますが
揖斐川・長良川の二つの川に挟まれた、岐阜県輪之内町の本戸地区は
過去に何度も洪水による水害に悩まされた為に、先人達に依って
輪中堤が築かれ、現在でも1.6kmに渡って現存していて
水害から生活を守る景観を保持していると、2003年に
この「輪中景観」が、文化庁の「文化的景観」の一つに選ばれ
地域の活性化を目指し、地元の有志の人達に依って
2006年から約20種・6千株の紫陽花を、たいしょう池付近を中心にして
この輪中堤に植栽され、その後も育成・手入れ等の活動が続けられ
今年も6月21日(日)に、「あじさいまつり」が開催されましたが
先週の中頃に、紫陽花が見頃を迎えていると聞いて
その日は天候も良かったので、午後から紫陽花を観に行って来ました


        この輪中堤の紫陽花を観に訪れた時の様子を、デジブックで纏めました。
      お目に留まり、ご高覧頂ければ嬉しいです。

                   (^_^)/









2015.06.26 / Top↑

「天下分け目の決戦」と云われています「関ヶ原の戦い」で
勝利を収めた徳川家康は、その戦いの後に全国主要街道の整備にとりかかり
1609年(慶長14年)徳川家康が上洛する際に、中山道の要衝で
徳川家開運の地である美濃の国・お勝山の北方に、自らが上洛の為に
往復をするにあたっての休泊施設の「お茶屋屋敷」を設置し
この設置は美濃の国の諸大名に命じ、岐阜城の稲葉山山麓に在った
織田信長の住居、千畳敷御殿等61棟を移築させたと云われ
屋敷の廻りには土塁や空壕が設置され、宿泊施設であると同時に
緊急時の砦、城郭の要素も備えていたが各宿場の整備と共に
必要が無くなり、寛永年間(1624年~1644年)に建物は取り壊され
土地はそのままに成っていましたが、明治維新時代の廃藩置県の時に
現地の名主に払い下げられましたが、現在では個人の所有となっていて
その当時の土塁や空壕の一部が現存し、この屋敷跡内には
その後数多くの牡丹が植えられ、通称「赤坂牡丹園」として
牡丹開花時期に無料公開され、東海地方有数の牡丹園となっています


「赤坂牡丹園」で花が咲き始めたと聞き、訪れた時の様子をDBで纏めました。
お目に留まり、ご高覧頂ければ嬉しいです。

(^_^)/









2015.05.08 / Top↑