デジカメを持って 西へ東へと・・・


「天下分け目の決戦」と云われています「関ヶ原の戦い」で
勝利を収めた徳川家康は、その戦いの後に全国主要街道の整備にとりかかり
1609年(慶長14年)徳川家康が上洛する際に、中山道の要衝で
徳川家開運の地である美濃の国・お勝山の北方に、自らが上洛の為に
往復をするにあたっての休泊施設の「お茶屋屋敷」を設置し
この設置は美濃の国の諸大名に命じ、岐阜城の稲葉山山麓に在った
織田信長の住居、千畳敷御殿等61棟を移築させたと云われ
屋敷の廻りには土塁や空壕が設置され、宿泊施設であると同時に
緊急時の砦、城郭の要素も備えていたが各宿場の整備と共に
必要が無くなり、寛永年間(1624年~1644年)に建物は取り壊され
土地はそのままに成っていましたが、明治維新時代の廃藩置県の時に
現地の名主に払い下げられましたが、現在では個人の所有となっていて
その当時の土塁や空壕の一部が現存し、この屋敷跡内には
その後数多くの牡丹が植えられ、通称「赤坂牡丹園」として
牡丹開花時期に無料公開され、東海地方有数の牡丹園となっています


「赤坂牡丹園」で花が咲き始めたと聞き、訪れた時の様子をDBで纏めました。
お目に留まり、ご高覧頂ければ嬉しいです。

(^_^)/









2015.05.08 / Top↑
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